最初に訪れたケララ州のキャンプ地では近くの寺院が炊き出し、仮設住居、子どもたちのケア、当座のお金の支給等の援助を災害後すぐに行ったという事もあり、わずか2ヶ月でとてもキャンプ地とは思えないおだやかな空気が流れていました。子どもたちはきちんと身なりを整え、女性はサリーを着てアクセサリーを身につけて大人がバタバタえらいこっちゃーこれからこの先どないしようという感じがないのです。
神戸の震災を体験した私にはこれはびっくりでした。現地の日本人に訊ねてみますと、彼らの感覚は日本人とは全く異なるので感傷的にならない方がいいですよ。彼らは災害に強い生き方をしているという答えが返ってきました。又あめ1つでも喜んでくれるかしらという質問にもみんな誰かが来てくれるだけで大喜びしてくれますからという事でした。
実際私が想像していた以上に子どもたち大人も大喜びで、今こうして書いていてもあの笑顔にもう一度会いたいという衝動にかられます。くもりのないキラキラ輝く瞳・瞳・瞳、今回の活動は人が本来持っているたくましさ、光を見せていただきました。支援というのは物ではないということと、この瞳を取り戻す活動をこれからしていきたいと強く思いました。
もちろんインドにも光を失った子どもがいました。けれど滞在中一度も子どもの泣き声を聞かなかったのです。赤ちゃんはお母さんが抱っこして歩ける子どもは子どもの輪の中に入っています。そして大人が子どもを叱る声、どなる声を聞きませんでした。それから犬がうろうろヤギとうろうろしているのですが、私たちを見ても普通にしているのです。とっても穏やかな自由があります。
被害にあっていない家の様子を見てみますと、隣家との垣根はなく、カギもなく、水道は共用であけっぴろげの生活、家の造りは外に向かって小さなバルコニーがあり、夕涼みをしたり夜は電灯の下で子どもが勉強をしていたり、大きな敷地に住む1つの大家族のようでした。これはかつて日本にもあった風景です。
垣根のない生き方が初めて訪れた私たちをこんなに安心させるのだから、この人たちがおだやかなのは当たり前です。安心できる暮らしは物やお金では得られない、物がある生活は身も心も不自由です。電化製品がない暮らしが貧しい生活だなんて、はだしの生活が貧しい生活だなんて失礼な話です。
政府や大きな団体の方々にはお金の支援は喜んでいただけましたし、子どもの為に使いますとの約束をしていただけた事を皆様にご報告いたします。賛同していただいた方々のお気持ちを実際に手渡し出きた事に喜びを感じます。そして改めて多くの亡くなられた方々のご冥福をお祈りして報告を終わります。